元政治学者の どこ吹く風

アカデミックな政治学者には語れない日本政治の表と裏を元政治学者が大胆に論じ、将来の日本の政局を予測する。

日本の音楽大学(その1)

いまから10年前、某国立大学法学部の助手の職を辞し、某私立音楽大学の専任講師になった。僕の30代の10年間のエネルギーのほとんどを、この音大に費やすことになるとは夢にも思わなかった。


赴任早々びっくりしたことがいくつかある。
1991年(平成3年)に、いわゆる大学設置基準が大綱化された。大綱化以降、各大学ではさまざまな改革が進展した。ところで、僕がこの音大に赴任したのが1996年(平成8年)4月。大綱化から5年経っているにもかかわらず、カリキュラム改革をはじめ必要な改革はほとんど進んでおらず、旧態依然としていた。
通年制は維持され、学生による科目選択の余地はほとんど存在しない。大綱化の主旨の一つに学生による履修科目の自由選択の余地の拡大があったが、専門の選択科目の数は少なく、選択科目である一般教養科目ですら事実上のクラス指定となっており、自由選択の余地はまったく存在しなかった。例えばピアノ科の1年生の全員(約100名)が通年の政治学を「履修しなければならない」状況に置かれていた。そして、ピアノ科以外の2年生は、通年の法学を履修しなければならない。授業を聞くほうも苦痛だが、教えるほうも苦痛だ。お互いにとってよいことは何も無い。
まさかピアノ専攻生のすべてが政治学に興味を持っているはずは無いし、通年で教養政治学を教える必然性もない。選択科目なのに、なぜピアノ科の一年生ばかりが履修するのだろうと最初びっくりしたのだが、事情を聞いてようやく理解できた。要するに他の科目は時間割上、履修できないようになっていたのだ。選択科目すら選択できない。専門の選択科目もほとんど無い。ここは高校か専門学校かと思った。断じて大学ではない!・・・と。


それから10年。。。科目の種類の豊富さ、学生のニーズに応じた自由選択の度合い、それぞれの専攻の専門性の高さと充実度、どれをとっても日本で一番充実した音楽大学の一つになっている。
大学を卒業するためには124単位以上の取得が必要だが、本学の学生は平均して160単位近くを自ら進んで履修し、かつ単位取得して卒業していく。
10年前の学生は4年生にもなると履修する授業がなくて暇そうにしていたのに、現在の学生は4年生になっても忙しく充実した科目履修をしている。


日本の音楽大学の歴史や現状などについて、体験談も含め、思いつくままに勝手なコメントを今後も書いていこうと思っている。