元政治学者の どこ吹く風

アカデミックな政治学者には語れない日本政治の表と裏を元政治学者が大胆に論じ、将来の日本の政局を予測する。

Web2.0

ブログを始めたのにはわけがある。


実は個人のホームページサイト自体はすでに1999年に開設していたのだが、職場のことで頭がいっぱいで更新もできず放置しているうちにプロバイダの都合で消滅してしまっていた。
その後は、ネットワーク関係と言えば、職場のWebサイト構築、グループウェア構築、コンピュータ教室整備、サーバー増強とネットワークのインフラ整備のことしか頭になかった。個人的には、仕事の書類作成やデータ作成以外には、ネット検索するか、ストレス解消と気晴らしでチャットするか程度しかできなかった。


昨年あたりからようやく自分の時間が取れるようになってきたのだが、それでも自分の仕事中心に頭を切り替えるのには時間がかかった。身体もだいぶ酷使していたので、昨年からは、体調を回復することを最優先に、あまり余計なことはせずに休めるときは可能な限りなにもせずに休むようにしていた。だいぶリハビリも進み、身体に余裕ができたのでスポーツジムにも通い始めた。エアロバイクをこいでいる1時間ほどの間を利用して、新書本を読むようになった。


そこで出会った一冊がこの本だった。

ネットワーク関係の本もすっかり読まずにいたのだが、恥ずかしながら本書を読んでようやく最近のネット界の変化をすっきりと理解することができた。その後、Web2.0についてはブームに乗っていくつかの本が出ているが、現在起きている変化をきちんと理解するには、まず本書を読むべきだろうと思われる。


ブログといえば、ただの日記の公開、せいぜい自己満足的な自己主張の類だとやや偏見を持って眺めていたので、正直なところあまり興味がなかった。
しかし、本書を読むことで、Web2.0の発想が革命的なものだと気づいた。


Web2.0が、思考の外部化であり、脳の外部化であること。さらに外部化された自らの思考が「ネット社会」というフィルターを通って再び自分の脳内を循環する。もちろん、その循環が必ず正の循環になるとは限らない。負の循環にもなりうるし、正の循環にもなりうる。ともあれ、思考の外部化と「社会化された」情報の内部化のプロセス自体が革命的に進化し始めているという感触は、僕にも確かに実感できる。


インサイドアウト&アウトサイドイン」の思考プロセスとでも言おうか。自己の脳内をネット社会にさらすこと自体、意味の無いことではないと思うようになったのは事実である。
思考のオープンソース化プロジェクトの一端に自分も関わってみようというのが動機付けの一つになっている。


大げさな言い方ではないと思うが、出版というプロセスを通じなくても学術的交流は可能になってきている。業績のために出版するということ以外に出版の目的が残るとすれば、おそらくアクセシビリティだけではないだろうか。ネットワーク上の情報へのアクセス手段をもたない(もしくは、アクセス困難な)人にとっては書籍というメディアは依然として貴重であるし、いろいろあるメディアの一つとして出版という手段は残り続けることは疑いない。ただし確実に言えることは、出版という手段を通じなくても知の交流は100%可能になってきているということだ。