元政治学者の どこ吹く風

アカデミックな政治学者には語れない日本政治の表と裏を元政治学者が大胆に論じ、将来の日本の政局を予測する。

いざ、政権交代! 自民党をぶっ壊す!

「いざ、政権交代自民党をぶっ壊す!」

民主党の選挙スローガンの提案です。(笑)
これしかないでしょ。

スローガン大事ですよ〜。へたな政策課題並べたりだけはしないでくださいね〜。くれぐれもお願いします。w

さあ、どんなのが出て来るか、楽しみですね♪

臨時国会冒頭解散!〜いざ、総選挙による首相選びへ!

9月1日。明らかに予定していたかのような日どりで、福田康夫首相が首相辞任の会見を行った。これにより、政局は一気に、衆院解散と総選挙による首相選びの局面へと移行した。

2年前の2006年9月、小泉純一郎首相の総裁任期切れに伴い、自民党安倍晋三を総裁に選出、安倍は第90代内閣総理大臣に就任した。

1年前の2007年9月、安倍首相の突然の辞任を受けて、自民党福田康夫を総裁に選出、福田は第91代内閣総理大臣に就任した。

そして、2008年9月、福田首相の辞任を受けて、自民党は総裁選びのプロセスに突入した。(10日告示、22日投開票)


1年前の総裁選において、反麻生派でまとまった連中が、今回は、ほぼ麻生支持でまとまっている。現時点で、麻生総裁の誕生はほぼ確実な情勢である。

今回の総裁選びが前回までと違うのは、衆院の任期切れまでほぼ1年を切ったということだろう。

すなわち、次の首相は、解散、総選挙を自らの手で行わなければならない宿命を負う。(タイミングを失い、それに失敗しなければの話だが。。)



自民党にとって最善の解散、総選挙の時期はいつか。

臨時国会冒頭である。



いわゆる「ねじれ国会」の現状においては、野党側の対応にもよるが、政権がどうあがこうがうまくいかず、結果、支持率がどんどん下がる状況にある。自民党の戦略としては、支持率の一番高い時期に解散すべきである。


次の自民党総裁は、国会で首相指名を受けたならば、速やかに解散、総選挙を行い、自らの政権に対する信任を国民に問うべきである*1


これに対し、民主党は、正面から受けて立てばよい。もともと早期の解散総選挙に追い込む戦略をとってきた民主党である。まさに、その時は来た!

動揺したり、メディア戦略を練リ直したりしている場合ではない。すでに戦いののろしは上がったのである。敵が総大将を誰にするかは関係ない。総大将が決まろうが決まらなかろうが、遠慮することなく敵陣に攻め入ればよい。勝とうと思うなら、こっちも相談しましょうなどとのんびり構えている余裕はない。

冒頭解散、総選挙を力強く要求し、公約どおり、総選挙による政権交代を実現することこそ、民主党の存在意義をかけたミッションである。これに失敗することは、10年来の民主党の実験の失敗を意味する。そればかりか、結党の理念を裏切ることになる。

民主党は、その結党の理念をかけて、この10年の総仕上げとしてこの選挙戦を勝ち抜かなければならない。

結党の理念の実現、すなわち政権交代に失敗すれば、かつての社会党のような万年野党になるか、更なる政界再編に向けて分裂するか、いずれかの道をたどることになるだろう。


政局は、総選挙による首相選びの局面へと移行した。

小沢民主党政権か、それとも麻生自民党政権か。



民主党は総選挙キャンペーンをただちに開始せよ。敵は麻生ではない。自民党である。


自民党をぶっ潰す!」−小泉にはできなかった。果たして、民主党にはできるだろうか。


小泉改革をまやかしだといっていた民主党の真価が問われるときである。





(関連する過去の日記)
安倍晋三と福田康夫 - たかはしはじめ日記 政治学者 高橋肇のメモランダム
衆院の解散総選挙 - たかはしはじめ日記 政治学者 高橋肇のメモランダム

*1:本来、議院内閣制においては、必ずしもそうすべき理由はない。しかしながら、首相とその内閣に対する国民的支持を得るためには、首相は、政党の都合とは別に、自らの信任を国民に問うべきなのである。たとえ、衆院任期が3年残っていようが、政権党が300議席持っていようが、である。政党の都合で総裁が変わったならば、そしてその総裁が国会で首相に指名されたならば、首相は、国民的支持を確実なものにするために、政党の都合とは別に、自らの信任を国民に問うべきなのである。そうしなければ、支持率を失ったとき、結局は政党の都合で進退を迫られることになる。与党とその所属議員の都合によってではなく、首相の判断で政権に対する国民の信任を問うことを可能にするような政党文化が求められている。

放送大学の授業のご案内(10/25-26)

以下のとおり、放送大学の面接授業を担当することになりましたので、ご案内しておきます。

日時:2008年10月25日(土)〜26日(日)
科目名:「政治学の基礎概念と応用」
講師:高橋肇名古屋音楽大学准教授)

授業概要:政治学の基礎概念とその応用について講義します。政治、権力、国家、政党などの概念をはじめ、自由主義、民主主義や平等主義、市場や政府、産業主義や資本主義、近代主義などの概念について説明します。特に、市場と政治、法と政治という視座を重視します。グローバル化現代日本政治をテーマに、そうした概念の実際の政治現象への応用についての理解を深めます。成績判定は出席状況のほか、レポートの評点により行います。

25日(土)10:00〜17:55 26日(日)10:00〜15:20
場所は、放送大学愛知学習センター 愛知学習センターの地図はこちら。

シラバスにはちょっと小難しく書きましたが、一般向けにわかりやすくお話しする予定です。
政治とは何か?国家とは?政党とは?といった話から、自由と民主と平等の関係についてとか、経済と政治の関係についてなど、一緒に考えることができればと思っています。
とくに最近の経済のグローバル化のなか、今後の世界はどうなっていくのか、政治の役割は何か?といったことを考えてみたいと思っています。


申し込み等、詳しくは放送大学愛知学習センターまで。注意:面接授業の科目登録申請は、入学後に行います。一科目から受講できますが、放送大学への入学手続が必要です。資料請求・入学手続・出願方法についてはこちら。
なお、2008年度第2学期(10月から入学)の出願期間は、平成20年6月15日(日)から8月31日(日)までですが、早めの出願をお勧めします。
満15歳以上であれば入学できます。入学に関するQ&Aはこちら。
何年かかけて大学卒業資格を取ることも可能です。
面接授業の概要についてはこちら。
面接授業の科目については、ホームページ上には案内がありません。資料請求が必要です。
面接授業の受講に関するQ&Aはこちら。

「はだかの王様」の経済学

著者の松尾匡さんよりいただきました。ありがとうございます。

マルクス経済学の入門書です。

「はだかの王様」の経済学

「はだかの王様」の経済学

[rakuten:book:12903035:detail]

松尾匡のページ←松尾氏のWebサイト

松尾匡さんとは下記の本で一緒に仕事をさせていただきました。

格差社会から成熟社会へ

格差社会から成熟社会へ

ポスト戦後体制への政治経済学

ポスト戦後体制への政治経済学

国産間伐材割り箸を使おう


中国産の割り箸が薬剤と森林伐採の件で問題になりましたが、国産の間伐材の割り箸を利用すれば問題は解決します。

コスト的には高くなります。(というよりも、中国産の割り箸が安いから、国産間伐材の割り箸が売れなくなっていったというのが事の経緯です。)


1)森林の間伐の必要
森林の間伐(間引き)をしないため、森林が荒れている実情があります。間伐材市場が縮小したため、間伐をするコストがまかなえず、間伐をせずに放置せざるを得ない現状があります。

2)森林破壊に加担しない
中国産の安価で危険な割り箸は森林破壊を引き起こしています。間伐材を利用すれば、森林破壊ではなく、森林の保全になります。


3)安全性
たとえば、「日本の間伐材でつくられている下川製箸さんの割り箸は、漂白剤や防カビ剤をいっさい使わず、煮沸殺菌後、高温乾燥します」とのこと。


国産間伐材割り箸について

国産間伐材割り箸 のーすもーる
「下川製箸さんは、40年前からシナの間伐(間引き)材で割り箸を製造しています。80年頃には年間1億膳まで生産していたのに、現在は年間100万膳にまで落ち込んでいるそうです。これは、日本国内の割り箸の需要が減ったのではありません。安い輸入材の割り箸に圧されたのです。
 日本人が使用する割り箸の総数は、1年間に248億膳(一人あたり約200膳/林野庁2001年データより)。そのうちのなんと96.8%がいまや輸入材です。」
国産間伐材割り箸 のーすもーるさんのサイトより引用)

樹恩ネットワーク
「日本の森林は現在荒廃しています。この荒廃とは、木が乱伐されているという意味ではなく、手入れがされずに放置されているということを意味します。一見すると緑が豊かで何の問題もないように錯覚されるかもしれませんが、それは間違いなのです。日本の森林のうち、約4割に当たる1000万haは人工林といって、下刈り、間伐、枝打ちといった様々な手入れが必要となる森林です。この人工林が手入れ不足になると、多くの問題が発生するとともに公益的機能も果たすことができません。」
樹恩ネットワークさんのサイトより引用)



関連文献

割り箸が地域と地球を救う

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森林からのニッポン再生 (平凡社新書)

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個人メモもかねて小まめに書くことにしました。あしからず。


メディチ家はなぜ栄えたか (講談社選書メチエ)

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情念の政治経済学 (叢書・ウニベルシタス)

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丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

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読了。

クローズアップ憲法

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共著者の中里見博さんから頂きました。ありがとうございました。
さっそく「日本国憲法」の授業の参考にさせていただきます。

政界再編と総選挙

政界再編含みで総選挙になるなら別だが、そうでない限りは、来年夏まで総選挙はない。ただし、総選挙の時期が遅くなればなるほど再編エネルギーは高まっていく。

自民党をぶっ壊すと言った小泉氏は自民党をぶっ壊すと言い続けることで見事に復活させ、自民党にぶっ壊れて欲しくないと思っている福田氏は意図せずして見事に自民党をぶっ壊しつつある。

とりあえずは3月末から4月初旬がヤマですね。それをなんとか越えられればサミットまではなんとなく時が過ぎるでしょう。

それにしても株安傾向はなかなか収まりませんね。まだ円高傾向と相殺してるからいいけれど、株安・円安が同時に起こり始めたらちょっとやばいかもしれません。

最近は、現実を脇目に眺めながら、引きこもって1930年代から1950年代のアメリカに沈潜してます。あとは、アメリカの保守主義と、ハイエクなどを。。。。

それから、なぜか量子論とか超ひも理論とか、脳化学とかWeb進化とか近代啓蒙主義ヘーゲルとかアナルコ・キャピタリズムとかそんな本を読んだりしています。

最近読んだものあれこれ

ちょっと頭の体操に。たまには理系の理論も読まないと。政治学でもこういう本が必要ですね。60歳になるまでには書きたいものです。

なぜか茂木健一郎。新書三冊。思考の補助線は社会学的想像力に似てる。いや、脳科学的想像力か。
思考の補助線 (ちくま新書)

思考の補助線 (ちくま新書)

すべては音楽から生まれる (PHP新書)

すべては音楽から生まれる (PHP新書)

ムーアの法則半導体の進化はまだ続く。ちなみに、専門に関わる本は、通読ではなく拾い読みの日々が続いています。。。。

机廻りにこれ付けてみました。何冊も本を開いておくにはそれなりに便利です。

政治学で読みやすいものも。最近読んだ新書の中で特にこの二冊はよかった。

民主主義という不思議な仕組み (ちくまプリマー新書)

民主主義という不思議な仕組み (ちくまプリマー新書)

政治学の名著30 (ちくま新書)

政治学の名著30 (ちくま新書)

音楽の政治学

ちょっと情報を集めていたら、産経新聞の「音楽の政治学」という特集を見つけた。
興味のある人がいるかもしれないので、ここにリンク貼っておきます。

音楽の政治学

【音楽の政治学】さくらんぼの実るころ
【音楽の政治学】北京五輪目指す台湾人エンターテナー、周杰倫
【音楽の政治学】“わが町”を歌い続け…パレスチナの吟遊詩人
【音楽の政治学】バレンボイムの“正論” パレスチナ
【音楽の政治学】中国製ロック、政治に翻弄「一無所有」
【音楽の政治学】ロシア国歌、変遷は激動の歴史の象徴
【音楽の政治学】民主化の歌「真実の10カ条」 若者の心をつかむ
【音楽の政治学】タイ民主化の歌「真実の10カ条」
【音楽の政治学】ユーロビジョン 実力問われる東欧・旧ソ連
【音楽の政治学】緑島小夜曲−台湾
【音楽の政治学】サマー・オブ・ラブ
【音楽の政治学】毛毛雨 一世を風靡した中国最初の歌謡曲

政治と音楽は両極端に位置するようでありながら、どこかでつながっているようなところがある。
たとえば、好き嫌いで政治をやってはいけないが、好き嫌いなしに音楽をやってはいけない。
好き嫌いだけで音楽を論じられても面白くないが、好き嫌い抜きで政治を論じられるのも面白くない。
善悪や正義で音楽を語るのはとんでもないことだろうが、善悪や正義だけで政治を語るのも、善悪や正義抜きで政治を語るのもとんでもないことだろう。

僕は音楽の政治化には断固反対するし、政治に絡んだ音楽も好きではない。
生活や人生のいろいろな場面で音楽は生まれる。政治の場面も例外ではない。だから、政治の場面で生まれる音楽を否定するつもりは毛頭無い。だが、音楽が政治の道具化される傾向には強く抵抗する。
なんであれ、音楽がなにかの道具にされたときには聞いていて面白くない。やはり、音楽それ自体を楽しみたい。数少ない音楽体験のなかで、僕が音楽の芸術性を深く感じた瞬間とは、ほかのすべてを忘れるほどに、音楽をそのものとして感じたときだった。

動機が政治だとか恋愛だとか言うことが問題なのではない。表現されるのが歓喜だったり悲しみだったりすることも問題なのではない。表現され産み出される作品性の中に芸術性は宿るのだと思う。

社会主義崩壊と自殺率

ちょっとデータは古いようだが、自殺率の世界ワースト10。
社会主義国に混ざって日本が第10位らしい。グラフ


日本社会も社会主義崩壊後と似たような状況にあると言うことか。。。。


http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/104955/

ちなみにその後、韓国が日本を抜いたらしい。。。

今日も自殺の記事が目立つ。

濫読中

最近読んだ本をいくつか。
アメリカ30年代理解に関連して。

↑この本は、30年代のアメリカ左翼を理解するには、なかなか良いと思う。

ハルバースタムの50年代論。

ザ・フィフティーズ〈第1部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

ザ・フィフティーズ〈第1部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

ザ・フィフティーズ〈第2部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

ザ・フィフティーズ〈第2部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

↓これはイギリス30年代論ですが、アーサー・ケストラー関連の文献を探していたら、引っかかった。

ラスキとその仲間―「赤い30年代」の知識人 (中公叢書)

ラスキとその仲間―「赤い30年代」の知識人 (中公叢書)

相変わらず癖のある文体ですが、なぜか読めてしまうところが不思議です。


あとは、ミルズ関係。

Radical Nomad

Radical Nomad

アメリカSDSの創始者修士論文がミルズ論だった。

C Wright Mills (SAGE Masters in Modern Social Thought series)

C Wright Mills (SAGE Masters in Modern Social Thought series)

↑3冊本。11万円で購入。過去から最近までのミルズ論が集められている。便利だが高い。
C. Wright Mills: Letters and Autobiographical Writings

C. Wright Mills: Letters and Autobiographical Writings

↑ミルズの娘二人が中心になって編纂した手紙や自叙伝的な文書を集めたもの。
実は僕はここに載っていない手紙類もテキサス大学のミルズコレクションからごっそりコピーしたのを持っていたりするのだが。。。汗

2008年度「政治学」授業のテキストについて

テキストが一冊だけだと複眼的な見方が身に付かないのと、政治学とは本来的に対立・矛盾するたくさんの言説間の争いという現象を対象にすることを宿命づけられていると考えるので、政治学の授業では、学生になるべく多くの本を読ませるように心がけようと思い始めている。
最近は、テキストを一冊に決めてそれをやるというのではなく、テキストはなるべく複数にすること、またテキストに関連する参考文献を紹介し、ときにそれをレポート課題にもするという方向にシフトしつつある。
一昨年度からレポート課題は、4回課すことにした。授業3〜4回に1本のレポートの割合になるが、とにかく学生に考えさせて書かせることが大事だと思うようになった。(実は、読む手間は半端じゃない。。。ストレスがたまるのである。)
最近の学生レポート事情について(または、コピー&ペーストによるレポート作成の見分け方(笑))


テキストと参考文献は、単行本でも良いと思うのだが、ひとつの講義に単行本2冊以上(1冊2000円前後として4000円以上)というのは、標準的な学生には酷らしい。そこで、最近の新書ブームに乗っかるわけではないが、新書が実に手頃に思える。
ということで、たとえば昨年の秋学期には、「立憲制度と民主政治」をテーマに、テキストに新書4冊を選んだ。一冊700円として2800円。ちょっと高い単行本一冊分と思えば許容範囲だろう。
憲法とは何か (岩波新書)/憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)/これが憲法だ! (朝日新書)/日本国憲法とは何か (PHP新書)
で、レポートは4回。たとえば、テキストの一冊を丸ごと読んでレポートしろとかいう課題を出す。
情報過剰の時代において、一冊のテキストのみを授業で取り上げるというのもどうかなという反面、そういう時代だからこそじっくり読むことの大切さも伝えたいという気持ちもある。
去年の春学期には、「グローバリゼーションと国民国家」をテーマにしたかったので、無謀を承知で、ネグり・ハート『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』をテキストにして、読ませたりもしてみた。それと『マルチチュード』上下二冊もテキストにした。
マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)
マルチチュード 下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)


ちなみに春も秋も、授業の内容は、テキスト批判である。
これも複数の視点を身につけることを意識してのことである。テキストの視点と講師の視点が同一では、あまり勉強にならないのではないかということだ。
別の言い方をすれば、自分の書いたテキストを(往々にして出版社との関係で)学生に買わせるというのは、適切な授業方法なのだろうかという思いもある。その先生の授業を聞かなくてもテキストを読めばわかるわけで、ならば授業に出ずにテキストを読めば済む。あるいは、14回の授業でなく、2〜3回の講演で済む話だろう。
情報過剰の時代にあっては、時間費用に対する学習効果についてもっと敏感になるべきだろう。

そんなわけでまだまだ模索は続くのだが、シラバスの締め切りが近づいている。2008年度のテーマは「格差社会から成熟社会へ」に決めてある。
というのも共著で『格差社会から成熟社会へ』という本を9月に出したから、これを売らないといけない(笑)。
学生もいい迷惑だと思うが、6人で執筆しているので、自分のも含めてそれぞれの章を徹底的に批判の対象にしようと思っている。
格差社会から成熟社会へ

この一冊だけでは、芸が無いので、格差社会あるいはその是正について書かれた新書はないかと探してみたが、いいのがない。タイトルに格差とある新書10数冊を乱読したが、内容的なバランスに欠けたり、読み捨てるような内容だったりで、授業のテキストにならない。
結局、定番の次の二冊に決めた。一冊は単行本だったのが文庫化されていたのでこれにした。
一冊は、『希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫) [ 山田昌弘 ]

もう一冊は、『格差社会 何が問題なのか (岩波新書) [ 橘木俊詔 ]
格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

まあ、あとは「格差」に関わる本を自由に一冊とりあげてレポートさせることで、もう一冊読ませようかと考えている。

社会学的想像力のために

社会学的想像力のために―歴史的特殊性の視点から

社会学的想像力のために―歴史的特殊性の視点から

著者の伊奈正人さん、中村好孝さんに頂きました。ありがとうございます。
日本の社会学界におけるミルズ研究者として中心的なお二人です。
ざっと目を通させていただきましたが、ミルズの社会学的想像力の章立てに沿って網羅的に解説がなされている良書です。
(なお、261ページ、302ページ、および文献目録322-333ページで、高橋肇の業績に言及・紹介いただきありがとうございます。10年来ミルズ研究サボっていたのがばればれの業績状況になってます。近々、単著にしますのでもうしばらくお待ちください。)

ミルズの社会学的想像力も合わせてご購入ください。できたら現代風に翻訳しなおしたいんですけどね。この本。一緒にやりませんか?>伊奈さん、中村さん。笑。

社会学的想像力

社会学的想像力