元政治学者の どこ吹く風

アカデミックな政治学者には語れない日本政治の表と裏を元政治学者が大胆に論じ、将来の日本の政局を予測する。

読了

個人メモもかねて小まめに書くことにしました。あしからず。


メディチ家はなぜ栄えたか (講談社選書メチエ)

メディチ家はなぜ栄えたか (講談社選書メチエ)

読了。

情念の政治経済学 (叢書・ウニベルシタス)

情念の政治経済学 (叢書・ウニベルシタス)

読了。

丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

読了。

クローズアップ憲法

クローズアップ憲法

クローズアップ憲法

共著者の中里見博さんから頂きました。ありがとうございました。
さっそく「日本国憲法」の授業の参考にさせていただきます。

政界再編と総選挙

政界再編含みで総選挙になるなら別だが、そうでない限りは、来年夏まで総選挙はない。ただし、総選挙の時期が遅くなればなるほど再編エネルギーは高まっていく。

自民党をぶっ壊すと言った小泉氏は自民党をぶっ壊すと言い続けることで見事に復活させ、自民党にぶっ壊れて欲しくないと思っている福田氏は意図せずして見事に自民党をぶっ壊しつつある。

とりあえずは3月末から4月初旬がヤマですね。それをなんとか越えられればサミットまではなんとなく時が過ぎるでしょう。

それにしても株安傾向はなかなか収まりませんね。まだ円高傾向と相殺してるからいいけれど、株安・円安が同時に起こり始めたらちょっとやばいかもしれません。

最近は、現実を脇目に眺めながら、引きこもって1930年代から1950年代のアメリカに沈潜してます。あとは、アメリカの保守主義と、ハイエクなどを。。。。

それから、なぜか量子論とか超ひも理論とか、脳化学とかWeb進化とか近代啓蒙主義ヘーゲルとかアナルコ・キャピタリズムとかそんな本を読んだりしています。

最近読んだものあれこれ

ちょっと頭の体操に。たまには理系の理論も読まないと。政治学でもこういう本が必要ですね。60歳になるまでには書きたいものです。

なぜか茂木健一郎。新書三冊。思考の補助線は社会学的想像力に似てる。いや、脳科学的想像力か。
思考の補助線 (ちくま新書)

思考の補助線 (ちくま新書)

すべては音楽から生まれる (PHP新書)

すべては音楽から生まれる (PHP新書)

ムーアの法則半導体の進化はまだ続く。ちなみに、専門に関わる本は、通読ではなく拾い読みの日々が続いています。。。。

机廻りにこれ付けてみました。何冊も本を開いておくにはそれなりに便利です。

政治学で読みやすいものも。最近読んだ新書の中で特にこの二冊はよかった。

民主主義という不思議な仕組み (ちくまプリマー新書)

民主主義という不思議な仕組み (ちくまプリマー新書)

政治学の名著30 (ちくま新書)

政治学の名著30 (ちくま新書)

音楽の政治学

ちょっと情報を集めていたら、産経新聞の「音楽の政治学」という特集を見つけた。
興味のある人がいるかもしれないので、ここにリンク貼っておきます。

音楽の政治学

【音楽の政治学】さくらんぼの実るころ
【音楽の政治学】北京五輪目指す台湾人エンターテナー、周杰倫
【音楽の政治学】“わが町”を歌い続け…パレスチナの吟遊詩人
【音楽の政治学】バレンボイムの“正論” パレスチナ
【音楽の政治学】中国製ロック、政治に翻弄「一無所有」
【音楽の政治学】ロシア国歌、変遷は激動の歴史の象徴
【音楽の政治学】民主化の歌「真実の10カ条」 若者の心をつかむ
【音楽の政治学】タイ民主化の歌「真実の10カ条」
【音楽の政治学】ユーロビジョン 実力問われる東欧・旧ソ連
【音楽の政治学】緑島小夜曲−台湾
【音楽の政治学】サマー・オブ・ラブ
【音楽の政治学】毛毛雨 一世を風靡した中国最初の歌謡曲

政治と音楽は両極端に位置するようでありながら、どこかでつながっているようなところがある。
たとえば、好き嫌いで政治をやってはいけないが、好き嫌いなしに音楽をやってはいけない。
好き嫌いだけで音楽を論じられても面白くないが、好き嫌い抜きで政治を論じられるのも面白くない。
善悪や正義で音楽を語るのはとんでもないことだろうが、善悪や正義だけで政治を語るのも、善悪や正義抜きで政治を語るのもとんでもないことだろう。

僕は音楽の政治化には断固反対するし、政治に絡んだ音楽も好きではない。
生活や人生のいろいろな場面で音楽は生まれる。政治の場面も例外ではない。だから、政治の場面で生まれる音楽を否定するつもりは毛頭無い。だが、音楽が政治の道具化される傾向には強く抵抗する。
なんであれ、音楽がなにかの道具にされたときには聞いていて面白くない。やはり、音楽それ自体を楽しみたい。数少ない音楽体験のなかで、僕が音楽の芸術性を深く感じた瞬間とは、ほかのすべてを忘れるほどに、音楽をそのものとして感じたときだった。

動機が政治だとか恋愛だとか言うことが問題なのではない。表現されるのが歓喜だったり悲しみだったりすることも問題なのではない。表現され産み出される作品性の中に芸術性は宿るのだと思う。

社会主義崩壊と自殺率

ちょっとデータは古いようだが、自殺率の世界ワースト10。
社会主義国に混ざって日本が第10位らしい。グラフ


日本社会も社会主義崩壊後と似たような状況にあると言うことか。。。。


http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/104955/

ちなみにその後、韓国が日本を抜いたらしい。。。

今日も自殺の記事が目立つ。

濫読中

最近読んだ本をいくつか。
アメリカ30年代理解に関連して。

↑この本は、30年代のアメリカ左翼を理解するには、なかなか良いと思う。

ハルバースタムの50年代論。

ザ・フィフティーズ〈第1部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

ザ・フィフティーズ〈第1部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

ザ・フィフティーズ〈第2部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

ザ・フィフティーズ〈第2部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

↓これはイギリス30年代論ですが、アーサー・ケストラー関連の文献を探していたら、引っかかった。

ラスキとその仲間―「赤い30年代」の知識人 (中公叢書)

ラスキとその仲間―「赤い30年代」の知識人 (中公叢書)

相変わらず癖のある文体ですが、なぜか読めてしまうところが不思議です。


あとは、ミルズ関係。

Radical Nomad

Radical Nomad

アメリカSDSの創始者修士論文がミルズ論だった。

C Wright Mills (SAGE Masters in Modern Social Thought series)

C Wright Mills (SAGE Masters in Modern Social Thought series)

↑3冊本。11万円で購入。過去から最近までのミルズ論が集められている。便利だが高い。
C. Wright Mills: Letters and Autobiographical Writings

C. Wright Mills: Letters and Autobiographical Writings

↑ミルズの娘二人が中心になって編纂した手紙や自叙伝的な文書を集めたもの。
実は僕はここに載っていない手紙類もテキサス大学のミルズコレクションからごっそりコピーしたのを持っていたりするのだが。。。汗

2008年度「政治学」授業のテキストについて

テキストが一冊だけだと複眼的な見方が身に付かないのと、政治学とは本来的に対立・矛盾するたくさんの言説間の争いという現象を対象にすることを宿命づけられていると考えるので、政治学の授業では、学生になるべく多くの本を読ませるように心がけようと思い始めている。
最近は、テキストを一冊に決めてそれをやるというのではなく、テキストはなるべく複数にすること、またテキストに関連する参考文献を紹介し、ときにそれをレポート課題にもするという方向にシフトしつつある。
一昨年度からレポート課題は、4回課すことにした。授業3〜4回に1本のレポートの割合になるが、とにかく学生に考えさせて書かせることが大事だと思うようになった。(実は、読む手間は半端じゃない。。。ストレスがたまるのである。)
最近の学生レポート事情について(または、コピー&ペーストによるレポート作成の見分け方(笑))


テキストと参考文献は、単行本でも良いと思うのだが、ひとつの講義に単行本2冊以上(1冊2000円前後として4000円以上)というのは、標準的な学生には酷らしい。そこで、最近の新書ブームに乗っかるわけではないが、新書が実に手頃に思える。
ということで、たとえば昨年の秋学期には、「立憲制度と民主政治」をテーマに、テキストに新書4冊を選んだ。一冊700円として2800円。ちょっと高い単行本一冊分と思えば許容範囲だろう。
憲法とは何か (岩波新書)/憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)/これが憲法だ! (朝日新書)/日本国憲法とは何か (PHP新書)
で、レポートは4回。たとえば、テキストの一冊を丸ごと読んでレポートしろとかいう課題を出す。
情報過剰の時代において、一冊のテキストのみを授業で取り上げるというのもどうかなという反面、そういう時代だからこそじっくり読むことの大切さも伝えたいという気持ちもある。
去年の春学期には、「グローバリゼーションと国民国家」をテーマにしたかったので、無謀を承知で、ネグり・ハート『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』をテキストにして、読ませたりもしてみた。それと『マルチチュード』上下二冊もテキストにした。
マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)
マルチチュード 下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)


ちなみに春も秋も、授業の内容は、テキスト批判である。
これも複数の視点を身につけることを意識してのことである。テキストの視点と講師の視点が同一では、あまり勉強にならないのではないかということだ。
別の言い方をすれば、自分の書いたテキストを(往々にして出版社との関係で)学生に買わせるというのは、適切な授業方法なのだろうかという思いもある。その先生の授業を聞かなくてもテキストを読めばわかるわけで、ならば授業に出ずにテキストを読めば済む。あるいは、14回の授業でなく、2〜3回の講演で済む話だろう。
情報過剰の時代にあっては、時間費用に対する学習効果についてもっと敏感になるべきだろう。

そんなわけでまだまだ模索は続くのだが、シラバスの締め切りが近づいている。2008年度のテーマは「格差社会から成熟社会へ」に決めてある。
というのも共著で『格差社会から成熟社会へ』という本を9月に出したから、これを売らないといけない(笑)。
学生もいい迷惑だと思うが、6人で執筆しているので、自分のも含めてそれぞれの章を徹底的に批判の対象にしようと思っている。
格差社会から成熟社会へ

この一冊だけでは、芸が無いので、格差社会あるいはその是正について書かれた新書はないかと探してみたが、いいのがない。タイトルに格差とある新書10数冊を乱読したが、内容的なバランスに欠けたり、読み捨てるような内容だったりで、授業のテキストにならない。
結局、定番の次の二冊に決めた。一冊は単行本だったのが文庫化されていたのでこれにした。
一冊は、『希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫) [ 山田昌弘 ]

もう一冊は、『格差社会 何が問題なのか (岩波新書) [ 橘木俊詔 ]
格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

まあ、あとは「格差」に関わる本を自由に一冊とりあげてレポートさせることで、もう一冊読ませようかと考えている。

社会学的想像力のために

社会学的想像力のために―歴史的特殊性の視点から

社会学的想像力のために―歴史的特殊性の視点から

著者の伊奈正人さん、中村好孝さんに頂きました。ありがとうございます。
日本の社会学界におけるミルズ研究者として中心的なお二人です。
ざっと目を通させていただきましたが、ミルズの社会学的想像力の章立てに沿って網羅的に解説がなされている良書です。
(なお、261ページ、302ページ、および文献目録322-333ページで、高橋肇の業績に言及・紹介いただきありがとうございます。10年来ミルズ研究サボっていたのがばればれの業績状況になってます。近々、単著にしますのでもうしばらくお待ちください。)

ミルズの社会学的想像力も合わせてご購入ください。できたら現代風に翻訳しなおしたいんですけどね。この本。一緒にやりませんか?>伊奈さん、中村さん。笑。

社会学的想像力

社会学的想像力

民主党小沢代表辞任撤回〜与野党大連立は消え、与野党政策協議が残った

与野党政策協議が残れば、大連立じゃなくてもいいわけですから、その回路(チャンネル)が開かれただけで良しとしましょう。いろいろ批判はあるでしょうが、他に選択肢が無いわけですから。

今後の与野党政策協議に期待したいと思います。

大連立に関して、やや乱暴に図式的に言うと。。。。
総与党化としての大連立(かつてのイタリア型)と政策実現のための大連立(ドイツ型)とはやはり異なると思います。今回は、自民党側からは総与党化、小沢氏からすれば政策実現という認識で大連立という一致点が瞬間的に成立したのだと理解しておきたいと思います。


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小沢代表辞任会見を読む。

11/2の日記で僕は次のように書いていた。

「今国会を何とか乗り切らなければならない福田氏側は、新体制(大連立)論もちらつかせながら、民主党案の丸呑みを含めて対応しようとするだろう。対する小沢氏側は、以上述べた原理的問題について妥協する気は無いが、民主党が提案する恒久法の丸呑みを提示された場合どうするかが問われるだろう。」

正確な情報が無い中で書いているので、多少の事実との食い違いには目をつぶって欲しいのですが、僕のコメントのポイントは民主党が提案する恒久法の丸呑みを提示された場合どうするかが問われる」という点にあった

突然の辞任についてわけのわからない感想を言う前に、まずは小沢代表の辞任会見を国民(および民主党議員)はじっくり読むべきだ。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/97130/
以下、上記リンクからの抜粋。

「ひとつ。11月2日の党首会談において、福田総理は衆参ねじれ国会で自民、民主両党がそれぞれの重要政策を実現するために、民主党と連立政権を作りたいと要請するとともに、政策協議の最大の問題である、わが国の安全保障政策について、極めて重大な政策転換を決断された。」

ここ!。今回の大連立への決断(二大政党の党首同士の間での決断)を理解するうえで最重要です。

「そのポイントは、1、国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は、国連安保理、もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動に参加することに限る。したがって特定の国の軍事作戦については、わが国は支援活動をしない。2、新テロ特措法案は、できれば通してほしいが、両党が連立し、新しい協力態勢を確立することを最優先と考えているので、連立が成立するならば、あえてこの法案の成立にこだわることはしない。福田総理は、その2点を確約された。」

要するに民主党の恒久法の提案(=小沢氏の年来の主張)の丸呑みなわけです。
だから、

「これまでのわが国の無原則な安保政策を根本から転換し、国際平和協力の原則を確立するものであるだけに、私個人は、それだけでも政策協議を開始するに値すると判断した。」

わけです。

この点の重要性の理解が民主党議員の間にも、国民の間にも完全に欠落している。
ここでは、日本と世界の安全保障のあり方および従来の憲法9条解釈の根本的転換が提起されているのである。

「私個人は、それだけでも政策協議を開始するに値すると判断した。」

(以上、http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/97130/からの引用。)


9条擁護を主張してきた共産党社民党もこの意味をまったく理解できていない。あなたたちが長年主張してきた悲願の実現なんですよ。これは。
結局、「一国平和主義」の枠内でしか発想していないので、理解できないのも当然なのですが、では、日本の革新勢力と9条擁護(護憲&憲法改悪阻止)勢力は、いったい世界の安全保障についてはどう考えているのかということが厳しく問われるのである。

以下、11/2の日記からの抜粋。

集団的自衛権の行使は、現行憲法において明確に否定されていると言うのが小沢氏の立場である。そして、この立場は、国連安保理の管轄下で実施される集団安全保障への積極的参加という立場と固く結びついている。憲法9条は、国連憲章42条と相補的な理念なのである。

この立場からすれば、テロ特措法のような集団的自衛権の無原則的拡張には、賛成できないことになる。逆に、ISAFへの参加は集団安全保障の一環であり、日本国憲法の理念からいっても原理的に積極的に参加しなければならない活動であるということになる。

そこにおいて、危険か危険でないかということは、原理的に問題にならないし、むしろ、危険かどうかで無原則的に集団的自衛権を行使することは原理的に間違っていると小沢氏は主張することになるわけである。

ということで、テロ特措法問題は政府提案の新法ではまとまらない。いまの政局の硬直状態の主要因がここにある。小沢民主党が恒久法の制定を主張するのは、集団的自衛権の行使とは原理的に異なる集団安全保障の理念に立脚した恒久法が必要だとの認識に基づいている。

福田首相は、民主党を飲み込むことで打開を図ろうとしているが、この集団的自衛権と集団安全保障との間の原理的対立が根底にある限り、小沢氏は安易な妥協をしないはずである。仮にこの問題で民主党が割れようとも妥協をしないかもしれない。

この原理的対立を焦点化すべくISAF論文が出された可能性が高いし、政局はこの原理的対立をめぐって展開していくことになる。ただし、この争点がどこまで国民(および与野党の国会議員)に理解されるかはまた別の問題である。

まとめると、今国会を何とか乗り切らなければならない福田氏側は、新体制(大連立)論もちらつかせながら、民主党案の丸呑みを含めて対応しようとするだろう。対する小沢氏側は、以上述べた原理的問題について妥協する気は無いが、民主党が提案する恒久法の丸呑みを提示された場合どうするかが問われるだろう。

できれば年内解散に追い込みたい小沢氏側だが、そのためには今国会を終結させる妥協なしには、話し合い解散という妥協も導けない。

そうなると、テロ特措法問題解決ブラス話し合い解散のための、テロ対策新法&選挙管理のための大連立内閣となるのだが、総選挙を目の前にしてこれは大いなる矛盾である。集団的自衛権と集団安全保障という日本の今後の国際貢献のあり方と憲法のあり方に直結する重大な原理的選択を迫られているのだという認識が極めて薄い現状の中では、国民の目には単なる政治劇の茶番にしか見えないだろう。

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党首会談の裏側と小沢代表辞任のその後

党首会談セッティングの背後で、与謝野馨中曽根康弘渡辺恒雄氏家斉一郎が動いたという情報。
信じるか信じないかは各自の責任で判断してください。
「福田・小沢会談」の裏で、大連立実現へ暗躍したあの“妖怪”たち(日刊サイゾー)

だけどね。水面下での調整なしに直接電話して、会談しましょうかという話にはならないのであって、フィクサーは常に存在するものなんです。それが表に出るかどうかは別問題ですが。また、それが一概に悪いこととも言えません。

さて、小沢代表に辞任を突きつけられた民主党執行部は鳩山氏らを中心に慰留する方向で動いていますが、菅代表代行は代表になりたい色気を捨て切っていませんし、前原君なんて勢いづいちゃってます。岡田君も様子見ってところでしょうか。今朝もテレビでは原口総務大臣(ネクスト)が辞任表明したネクス小沢首相に関して言わなくてもいいことをいろいろのたまわっておりました。テレビ出演禁じられた前原次期代表の代行のつもりなんでしょうか。考えてしゃべってるのか調子よくしゃべってるだけなのかよくわかりません。

それはさておき、民主党役員会で小沢氏を慰留するという意見と小沢氏は決意を曲げないだろうという意見がぶつかり合って、まずは、もう一度慰留するでしょう。

慰留派が強力かつ多数の場合、小沢再登板、ただし代表選挙を実施して、反対する側からの立候補も求めることを小沢氏は要求するでしょうね。

慰留しない派がそれなりに優位だとすると、慰留した上でも「小沢氏の決意は変わらない」という話になって、今度は代表代行派と前原系その他の若手派が代表選をやるかやらないかでひと悶着あるでしょう。

最終的には、代表代行は小沢代表による指名だから正当性がないという論理になって、結局代表選に突入するしかないと思われます。

ということで、次の焦点は、小沢氏ありの代表選になるのか、小沢氏抜きの代表選になるのか。
この辺りでしょうか。


どうでもいい追記:小沢氏の心境は、自分が職場組織改革に前々学長と一緒に取り組んでいたときの気持ちと重なる部分が多いので、なんとも切ないですねぇ。「民主党はまだまだ未熟だ」まったく同感です。でも、そんなもんですよ。そう簡単に組織は変わらない。小沢さんは「なんでおまえらわからないんだ」「少しは頭使って考えろよ」って思ってるでしょうけど、ほんとにわかってないんだからしょうがないんです。頭の使い方から、どうするとこうなるのかってことまで、体験学習させないと無理なんですよ。日本社会はどこもかしこも。
あるテレビで、小沢さんへの過去のインタビューで、生まれ変わったらまた政治家になりますか?とのインタビュアーの質問に、「日本ではやりたくないね」と言っていた映像がありましたが、気持ちわかります。
まあ、でも欧米も100年前はそんなレベルでしたよ。
西欧諸国における大連立の経験ちょっと調べなくちゃ。。。
とりあえずwikipedia大連立参照

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小沢一郎民主党代表辞任会見

小沢氏が代表辞任を決めましたね。こうした状況の中では、正しい判断だと思います。
国民にとっても、民主党議員にとっても、いい政治教育になることを期待したいと思います。
政治家としての適切なこの決断に関して、マスコミ及び国民がくれぐれもレベルの低い批判に終始しないことを願います。この点では、マスコミの報道姿勢(世論誘導を含む)が改めて問われることになるでしょう。
(只今、記者会見の質疑応答中ですが、記者の質問を聞いていると、勉強不足・理解不足の質問が多すぎますね。)

さて、問題です。民主党は代表選挙をちゃんとやれるでしょうか。
こうした状況に対処できる組織としての力量が問われます。小沢党首に批判的な言動をしていた一部の民主党議員たち(ネクスト大臣を含む!)はどう行動するつもりでしょうか。(現時点で、辞職願を正式には受理しないという民主党の対応だそうですが、これは長持ちしません。なぜなら小沢氏の辞任の意思は変わらないからです。一日も早く代表選挙を実施すべきでしょう。早急にそして粛々と。)

自民党総裁選に続き、民主党党首選となりますが、これが現在の日本の民主主義のレベルです。受け止めましょう。(そういえば、三ヶ月前にはこんな日記を書いていました。安倍晋三vs.小沢一郎。。。二人とも消えちゃいましたwww。党首選になって党内議論を深める中で、小沢さんが再度立候補するという展開を期待してるんですけどね。可能性低いかなぁ。。無いとは思わないんだけどなぁ。。。)

小沢氏が会見で行ったマスコミ批判も適切だと思います。
「日経、朝日を除き・・・すべてのテレビ・新聞が事実無根の報道をした」「これは民主主義の危機だと思う」との小沢氏のコメントが持つ重みをマスコミ各社は肝に銘じるべきでしょう。

追記:いま原口くんのコメントがテレビで流れました。「なんで辞めるんですか。ここで辞めずに、一緒に政権交代頑張りましょうよ」と言ってました。さいてーのコメントだぁ。ここ最近から今日の午前中までのテレビで自分がなんて言ってたか録画を見直したほうがいいと思います。芸人並みに発言の一貫性が欠如しつつあるのではないですか。
今日の午前中までの「小沢はけしからん」の大合唱から、午後は「辞めてくれるな、小沢さん」の大合唱です。。。。。
日替わりどころか午前と午後で全然コメントが変化してます。
マスコミも一様に神妙な報道。野党各党党首も「なんでここで辞任なのかわからない」などとおっしゃっております。政治教育が必要なのは野党各党首にまで及ぶようです。これが現在の日本の民主主義の質とレベルを示しています。受け止めるしかありませんね。
(ちょっと最近、日記が下品になってきた?w ま、いっか。このほうがまだ読まれるかもしれないし。)

小沢会見詳報についてはここを参照
追々記:以下、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071104-00000933-san-polから引用
「小沢氏は4日の会見で、代表個人として、福田首相からの連立政権協議の提案を受け入れる意向だったことを明らかにし、その理由について、安全保障政策で「福田首相が極めて重大な政策転換を決断した」と述べた。具体的には、首相が(1)自衛隊の海外派遣は国連決議を受けて発足した組織への参加に限る(2)大連立が実現するなら新テロ対策特別措置法案の成立にこだわらない−ことを確約した、と説明した。小沢氏は、「(福田首相の判断が)無原則な安保政策を根本から転換し国際平和協力の原則を確立するだけに、政策協議を開始するに値すると判断した」と強調。」
この点に関しては、11/2の日記参照。いろんな憶測は飛び交ったものの、この事実が正確に公になったのはこの小沢会見であり、2日の時点ではこの事実は公になっていなかった。


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テロとの戦いは集団的自衛権の行使ではなく集団安全保障として行うべき。

テロとの戦いは、集団的自衛権の行使としてではなく、集団安全保障として行うことが望ましい。

これは、国連憲章日本国憲法の理念にかなっている。また、今後の日本の国家防衛と社会福祉にとってもメリットが大きい。

世界社会の多極化傾向が進展する中で、今後の国際社会のゆくえを考えるならば、世界の治安・警察機能としての「集団安全保障の理念」に固執することはますます重要になっていると思う。

全世界的に集団的自衛権の行使の制限ということを課題にしていくべき時期であり、日本は国連等においてもそうした主張を正面から展開すべきだ。



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